言葉と生産性

仕事で感じた「言葉と生産性」の問題について書きます。日々の仕事の参考にしていただけると嬉しいです。

読めない=書けない

「日本語を読めない」と自覚している日本人がほとんどいないように、「日本語が書けない」と自覚している日本人もほとんどいません。義務教育であれば文章を書く機会は多いですし、社会人になると業務書類を作成することが多いので、書く行為自体を意識する機会が少ないのだと思います。

 

しかし、「読み」と同様に、ここでも問題になるのは、「正確に」書く能力です。「正確に」とは、誰が読んでも意味が一つにしか捉えることができないように、という意味です。

 

私用のメールやLINEで扱う程度の日本語については問題ないと思います。相手の人柄を知っていれば、書き方や考え方の癖を知っているので、意思が伝わりやすいからです。仮に不完全な文章だとしても、再確認すれば書き手の意思がほぼ正確に伝わります。

 

問題となるのは、「不完全な文章」では許されないシチュエーションです。例えば、会社の外部の人に宛てた業務書類です。会社のメッセージを誤って伝えてしまうと、プロジェクトに遅延や損害が生じてしまうこともありますよね。

 

身近な例では、家電製品の説明書もそうです。誤解を招くと、利用者にケガを負わせる恐れもあるので、企業は、分かりやすくも、正確な文章でメッセージを伝えています。

 

実は、このような正確な文章を作るのは意外と大変です。時間をかけて頑張れば、いつか完成するというものではなく、文法を含む文章構造を正確に理解してる人が書かないと正確な(=意味がひとつに特定された)文章は書けません。そして、それを理解しているのは、文章を正確に読める人です。文章を正確に読めるから、それを文法にそって文字化できるのです。なお、「読めるから書ける」はありますが、逆はありません。

 

チームのメンバーが書いた事務書類が、よく理解できないと思ったことはありませんか?自分の「読む能力」に自信がないと、ついつい仕事に対する理解不足のせいと考えがちですが、多くの場合は「そもそも読めない文章」だから読み手が読めないだけです。

 

そんな文章をメンバーが出してきたら、管理職が指導するべきなのですが、そもそも正確に読める人材は少ないので、その書類をもとにメンバーが考えることになります。

 

読めない書類を元に、ある人は理解できないことに気付かず、ある人は勘で内容を推測し、 ある人は読めないことを恥じて沈黙し、誠実な人は空気を読んで「読めない」ことを隠し。。

 

こんな状態でプロジェクトが正しく前進するはずがありません。日本語が正確に読めない状態だと、チームの生産性は低いままです。

『日本人の3分の1は日本語が読めない』理由

以下「日本人だけど日本語が読めない」は、前々回のエントリーですが、堀江貴文さんのツイッターで引用された記事に、私も全く同意できるものが載っていたので引用させていただきます。

kotoba-to-shigoto.hatenablog.com

bunshun.jp

詳細は記事を読んでいただきたいのですが、タイトルにある「日本人の3分の1は日本語が読めない」は、私の実感とも合致します。というか、高度な情報処理が求められる仕事をしていると、実態は、その母集団の性質にもよりますが、9割は読めてないと思います。「超厳格に読む」ということになると、99パーセントの日本人が読めません。

 

実際、会議をしていても、何の根拠もなく「〜だと思います」という言葉が飛び交いますし、しっかりと読めてないのに、キーワードになりそうな単語だけを抜き出し、時間をたっぷり使って説明する人がほとんどです。以前のエントリーでも書きましたが、「〜だと思います」は小学生(しかも低学年)の読書感想文と実質的に同じですし、理解できてないからこそ、やたらと時間をかけて体裁を整えるのです。本当に自信があれば言いたいことは数分で終わります。

 

では、なぜ日本人なのに日本語が読めないのか。

 

それは基礎教育の軽視にあると思います。「学歴なんて関係ない」「詰め込み教育なんて意味ない」「個性が大事」などなど。今の日本で有名人が「学歴が一番大事」なんて言おうものなら、大炎上してしまいますね。しかし、個性の大切さを認めつつ、やはり私も「学歴は非常に重要」と言わざるを得ません。

 

実は日本語を読むというのは応用なのです。日本語を(正確に)読むために必要なことは、英語と数学の知識です。英語と数学がなんで関係あるの?と思われるかもしれませんが、実は大いに関係があります。

 

詳しくは別のエントリーに書きますが、英語と数学を勉強していると、必ず暗記では対応できない時がきます。そのとき大勢の人は更に暗記量を増やして対応しようとします。しかし、やはり成績は上がりません。それでも諦めずに「なぜ解けないのか??」と問い続けた子供のみが、「日本語が正確に読めていなかったこと」に気づきます。同じ問題集を何度もやると成績が上がるのは、知識が定着するのもありますが、より正確に日本語を読むきっかけになるからです。

 

「日本語が正確に読めていなかったこと」に気づいた子供は、教科書に書かれた基本をしっかりと読むようになります。成績上位の子が、いたずらに難しい参考書に手を出さなかったり、教科書がボロボロになるまで読み込んでいるのは、そういう理由です。

 

そして、日本語が正確に読めるようになると、子供は、知識や勘ではなく、論理で物事を考えるようになります。英語や数学はその能力を磨く手段としては優れていると思います。「英語や数学なんて社会に出たら使わない」とバカにする人がいますが、「英語や数学で培った論理的思考」は社会に出たら毎日使うのです。

 

そして、その論理的思考を最も活用するのが国語です。私が「英語と数学が基礎で国語は応用」という真意はここにあります。実際に、多くの学生が苦手としているセンター試験の現代文の選択肢は、この論理的思考があれば簡単に正解にたどり着けます。現代文の選択肢は2択までは誰でも絞れるのですが、最後の1択は問題文の文法的理解がないと絞れないようにできています。単に文章を読んで「〜と思いました」という感想しかもたない学生を振り落とすためです。

 

センター試験でこのレベルまでいかなかった子供は、大人になっても変わりません。業務書類は正確に読めませんし、新しいことをやろうにも「読めない」から何もできないのです。もちろん本人は気づきません。要領が良い人ならポイントとなる書類を素早く探し出したりネットで検索したり、努力家の人ならいろいろな書籍を書店で探してくるかもしれません。

 

しかし、問題は「読めるんですか?」ということです。

 

「読めない」ということが、その人の生産性をどれだけ下げているのか、どれだけ人生の道を狭くしているのか、そのことを少しでも理解していただくことが、生産性を上げる第一歩だと思っています。

 

 

 

 

 

なぜ文章を正確に読む必要があるのか

今回は、仕事で日々生まれる「書類(メールの文章を含む)」について考えてみます。

 

そもそも、なぜ文章という形式でメッセージを伝える必要があるのか。それは、経営者(管理職を含む。以下、単に「上司」という。)の指示を従業員に正確に伝えるためです。

では「正確さ」とは何なのか。

「正確さ」とは、その文章が、読んだ人全員に対し、例外なく、ある特定の意味でしか理解できない状態になっていることを言います。

上司の指示は一つなのですから、それを伝える文章が、人によって解釈が異なっては困るわけです。組織の統率がとれなくなるから。

とすると、読み手の部下は、その文章が伝える「たった一つの意味」を正確に理解することを意識しながら文章を読まなくてはいけません。

もちろん、上司が言葉を適切に扱っているかは、個人の資質によります。もし、その文章が複数の意味で読むことができるなら、まずは上司に、その意図を確認することが、仕事のスタートになります。

なんとなく理解した気になって、上司の意図と違う行動を取ってしまう人は多いです。そのような指示を出した上司にも問題はありますが、指摘してくれる部下は上司にとってとても心強い存在になるはずです。

 

 

 

 

 

日本人だけど日本語が読めない

もちろん日常会話は誰でもできる。そのせいか、多くの人が自分は日本語が完全に読めると勘違いしてる。


もちろん保険の契約書や専門書など、読めない文章は沢山あるのだけど、それは内容が難しいから読めないだけであって、自分もその分野の専門教育を受けていれば読めるはずだ、と思ってる人がほとんど。


この誤解が日本人の生産性を下げてる気がする。


試しに辞書を使って全ての単語の意味を調べてみると良いと思う。全く理解できできないから。


「全く理解できない」と感じる人はむしろレベルの高い人。ほとんどの人は、調べた単語の意味から、文章全体の意味をなんの根拠もなく予想して「なんとか読めた」と言うだけ。


私の場合ですが、文章を正確に読めたときに、「なんとか」読めたという感覚はありません。その感覚があるときは、読み間違いをしてる可能性が高いので、文章をもう一度読み直します。


文章が正確に読めたときは、その内容が頭にスッと入ってきます。その感覚は人に説明するのは難しくて、こればかりは体験するまで考え抜いてもらうしかありません。


「なんとか」読めた、と感じる原因は、文章を文法通りに正確に読んでないことが原因です。いくら本人が「単語の意味を全て調べたのだから自分は読めるはずだ!」と思い込みたくとも、心は正直ですからスッキリしないんですね。自分に嘘はつけません。

会議が無駄な理由

議論とは何だろう?

私が考える議論とは「Aさんの論理とBさんの論理をぶつけ合って、互いの論理の隙間を見つけ、より優れた新しい論理を生み出すための手段」と考えています。会議はそのための場所です。

 

いつも困るのが、会議中の「私はこう思う」系の発言、「明確な根拠に基づかない」系の発言です。

「私はこう思う」系は、実質的に小学生の読書感想文のようなものです。誰もあなたの主観なんか興味ない。

「明確な根拠に基づかない」系は、「パパがこう言ってました」と同レベルです。あなたのパパが何を言ったかなんて他人は興味ない。

 

しかも、こういう人に限って話が長い。中身がないから、自身のなさを取り繕うために話を長くして説得力をもたせようとする。本当に自信のある人の発言は短いものです。「私が言いたいことは『AだからB』です」と言うだけだから短くて当然です。

 

例えば、私は会議で「この情報は、十分にチェックされて正確なものが昼頃着きますけど、チェックなんかしなくていいから、もっと早く、朝一でその情報がほしいです。そうすれば朝一から作業を開始できます。」と提案したことがあります。

 

このたった一言が採用されて、仕事の仕組みが変わりました。午前中の活用されていない時間を減らすことができて、仕事が効率化しました。簡単な内容ですが、このアイデアを考えるのに何日も、家に帰ってからも、ひたすら考えました。しかし、言葉で言ってしまうと、たった一言です。長い説明なんかいりません。

 

職場で論理的に話す文化を作ることができたら、仕事はとても効率的になると思います。論理的に話す気がないなら、会議なんかやらない方がいいです。

 

 

情報を理解するための前提条件 2

前回のエントリーでは「ある情報が他人が理解できる条件を備えている」といえるためには、「AだからBといえる」というように、発言の内容が論理的に成立していることが条件のひとつだと書きました。今回は、もう一つの条件「発言の内容が正しい」について書きます。

kotoba-to-shigoto.hatenablog.com

「発言の内容が正しい」といえるためには、「AだからBといえる」の理由の部分「Aだから」に正当な根拠があることが必要です。

 

では何をもって「正当な根拠」とするかというと、これはケースバイケースです。過去の成功例だったり、契約内容であったり、法律だったり。

 

ただ、これだけは絶対にダメというのはあります。それは主観を根拠にした理由づけです。主観は、数字や資料に基づかないため(本人は気づいていなかもしれませんが)噓の宝庫です。この場合は「AだからBである」が成り立たないので、「発言の内容が正しい」とは言えません。

 

発言の内容が正しくないと何が起こるのか。話し手から聞き取った情報と、聞き手の頭の中にある正しい情報とが、頭の中で矛盾を生じさせ、結果的に聞き手は話し手から得た情報を理解することができなくなります。

 

 

 

情報を理解するための前提条件 1

下記のエントリーでは、相手の発言が理解できない、または仕事の書類が理解できない場合は、次の2項目の検討が必要だと書きました。

  • 発言の内容は論理的に成立しているのか
  • 発言の内容は正しいのか

kotoba-to-shigoto.hatenablog.com

繰り返しますが

 仕事の情報(相手の発言や、書類に書かれた文章の内容)を理解するには、そもそもその情報が理解できるものである、というのが前提です。

 

そして「ある情報が他人が理解できる条件を備えている」といえるためには、冒頭の2点、すなわち、

  1. 発言の内容が論理的に成立している
  2. 発言の内容が正しい

を満たしている必要があります。

それでは、なぜこの2項目の検討が必要なのでしょうか。

 

「論理的に成立している」というのは、文章が

 

AだからBといえる

BだからCといえる

CだからDといえる

(省略)

YだからZといえる

だからZという結論になります。

 

という形式をとっているということです。

 

 そして、結論Zは意味がひとつに絞られる必要があります。結論がひとつに限定されているからこそ、聞き手は相手の言うことが「理解できる」のです。

結論Zの意味が複数あると、聞き手はそのうちのどれが話し手の主張なのか特定できないため、話し手が言いたいことを「特定できない(=理解できない)」ということになります。